海外移住が「人生の活路」になる理由 -【コミュ障】編-

こんにちは Ronin です!

僕は現在イギリスのロンドンで生活をしています。

ワーホリ等の一時的な滞在ではなく、無期限での長期的な移住としてこちらで生活を送っています。

ロンドンに来る前は、オーストラリア、台湾と長期滞在をしてきたのですが、日本を離れて海外で暮らすようになってから、早7年ほどになります。

海外で暮らす、海外移住と一言で言っても、実際に生活すると様々な思いもよらないことに遭遇するのは事実です。

しかしながら、それでも、僕を含め海外で生活を送り続ける人がいるというのは、総合的に見てそのようが自分にとってプラスだったり、合っている、という理由に基づくからだと思います。

そして実際に、海外で生活することで、日本で生きづらさを感じてくすぶっている人たちが、充実した日々を送れるようになる…ということがありますし、僕自身もそれを体験した一人です。

そこで今回は、海外移住が人生の活路になる理由、特に「コミュ障」と実感して苦しんでいる人の視点から考えてみたいと思います!




そもそも「コミュ障」とは何か…?

インターネット上などで特に言われる「コミュ障」という言葉ですが、ニコニコ大百科には、以下のように定義されています。

コミュ障(こみゅしょう)とは、コミュニケーション障害の略である。実際に定義される障害としてのコミュニケーション障害とは大きく異なり、他人との他愛もない雑談が非常に苦痛であったり、とても苦手な人のことを指して言われる。

あくまでも、できないのは休み時間などに行われる、友人や知人たちとのどうでもいいけど実に楽しげな会話である。多くの人は、学校生活や仕事上でどうしても必要な会話、事務的な応対については、割と可能であったりもする。

(出典: ニコニコ大百科 “コミュ障” )

普段インターネットスラングとして使用され耳にしている「コミュ障」という言葉は、聴覚器官や発声器官の不十分などといった身体障害が原因によるものとは異なります。

「コミュ障」とは、人見知りなどの性格的なことが原因で、日常、特に人と楽しげに会話することを求められる状況において、「どう話していいか分からなくなってしまう」、「人が求めるような楽しげな雰囲気、会話をすることができない」などを抱え、その結果、そのような状況が苦痛になってしまう…という人たちのことを、一般的に指します。

 

日本社会の潜在的な「コミュ障」

「コミュ障」と言うと、何だか性格が暗くて、いつも引きこもってて、友達がいなくて…

という印象を持つことが多いと思いますし、実際にコミュ障と自身で思っている人たちが、人とのコミュニケーションが苦手なために、家に引きこもるのが居心地良かったり、知り合い、友達が少ない、または全くいないという状況は少なくありません。

しかしながら、そこまで極端でなくても、例えば、普通に仕事などの日常生活を送ることは可能だが、昼食の時間になって他の同僚などと一緒に食事に行ったり、そこ楽しげに話をするのが苦手だったり、2~3人の人たちで集まってお酒を飲みに行ったりするのはいいが、5人以上の大勢の人が一緒に集まるような場所ではどう振る舞っていいか分からなかったり、無理に話を合わせたりすることができず気まずくて、極力そのような状況を避けたい…という人たちは少なくないと思います。

社会生活を送っていく以上、人との繋がりは必要ですし、良い関係を築いて行くためという意味での「コミュニケーション」は非常に大切です。




しかしながら、程度の差はあるにしろ、それらが大好きで得意という人ばかりでは無く、人見知りだったり、どう人と話してよいか分からなくなってしまうなどの理由で、コミュニケーションをうまく取れない人たちも一定数います

これはもちろん日本に限ったことではなく、どこの国でもコミュニケーションや、他者と上手く楽しげに話したりすることが苦手な人たちというのは存在するのですが、海外に出て気付くことは、日本社会には、他者と上手く同調していくことを強いられてしまうというような独特な雰囲気があるような気がします。

これらは同調圧力とよく言われることがありますが、遥か昔から和を重んじ、グループ等の団結を重要視するという民族性も、大きく関係しているのだと思います。

ですので、他者と上手くコミュニケーションを取り楽しげに過ごす (言わば同調) することが苦手な人たちにとっては、より生活しづらかったり、ある意味での緊張感やプレッシャーを感じで生活しなければならないということが起きてしまいます。

 

「適材適所」は自分自身に対しても行う

良く、「日本でやっていけない奴が海外でやっていけるものか!」と豪語する人たちがいます。

個人的には、その通りと同意する部分もあるし、そんなことはないと、違和感を感じることもあり、これはその人の性格や状況によって変わってくると思います。

例えば、自分の上手くいかない状況の全てを、常に周りの人や環境のせいにしてしまう傾向がある人は、いくら楽園のような国に行ったとしても、同じく環境に不満を持ち、上手くいかない原因を人のせいにしてしまい、結局は日本といる時と同じような状況を自分自身で作り出してしまうと感じます。

その一方で、環境を変えること (海外移住をすること) で、前の環境では生きることが苦しかったものの、新しい環境が自分に相応しく、生き生きと人生が輝きだすことがあります

個性!個性!と何でも個性を主張したがる考え方もどうかと思いますが、「適材適所」という言葉は、自分自身の性格や傾向をしっかり分析した人が、いるべき場所を判断する際にも当てはまると僕は考えます。

環境を変え自分に相応しい場所を選択する一つの手段として海外移住が必要ならば、それは非常に前向きな一歩となる可能性があります。

国によって国民性や生活パターンの傾向というものがありますし、全ての国で同調を強いる圧力があったり、村社会的な考え方が存在しているというわけでは無いのです。

 

海外に行けばコミュ障は当たり前になる?逆転の発想

僕が初めて海外生活をした場所は、台湾の高雄という場所でした。

僕自身、人とコミュニケーションを取ることは特に仕事上など業務上のものや、親しい人、友人などであれば問題なくこなすことができるのですが、人見知りが激しいことから、そこまで仲良くない人を交えたグループでの食事等はどちらかと言うと苦手で、一人で本を読んでいたりゲームをしていたりするほうが楽しいと思うことが多いです (笑)

そのため、東京で一人で暮らしていた時期、特に大学を卒業して働いていた時期などは、仕事上以外で人と食事に行ったりすることが無く、それが原因で自分を情けなく思ったり、孤独を感じることが多かったです。

ですが、台湾へ渡ってからは、たくさんの現地の台湾人と知り合いや友達を作ることができました。

これは、台湾の人たちの非常に気さくな性格だったり、他人に興味を示してくれたり (特に日本人に対して) 、言いたいことをはっきり言うなどと言った特徴が大きく関係しています

台湾人の人たちと話すと、日本にいて感じるような、人と人の壁のようなものがあまり無いように感じられます。

初めて会った人たちが、5年来の親友のように話し出すことも台湾では珍しくありません。

そのため、こちらが多少シャイであっても、国や人の雰囲気が非常にフレンドリーであるため、自分自身を「コミュ障」と分析する人たちでも、それをカバーしてくれるような環境があります。




そして、日本では日本語を流暢に話すことは日本人であるためもちろん当たり前ですが、海外から来た外国人であれば、現地語 (中国語) を台湾人のように流暢に話すことは期待されませんし、場合によっては話せなくて当然だとみなされます

ですので、多少上手く人と会話できなくても、「会話」というカテゴリーで見た時に、ハードルが日本にいる時に比べてグンと下がっているので、多めに見られることがほとんどです。

台湾、特に南部の高雄の人は非常に気さくで、外国人に対して友好的な人たちが多いので、僕のように日本でコミュニケーションを取ることが苦手で生活しづらいと感じた人でも、 生きやすさを感じられる人は少なくないのではないかと思います。

実際台湾にいる時に、そう感じて永住している日本人を見かけることがありましたし、台湾だけで無く、物価が安くて気候が良い東南アジアに移住する人が増えているというのは、同様の理由からであるというのは想像に難くありません。

 

最後に

このブログでも良くお話しするのですが、僕は「持たざる者は無限の可能性を持っている」と思っています。

海外移住をして環境を変えると言っても、そこには多少のリスクが伴います。

恋人、妻 (夫) 、子供、持ち家、高給の貰える仕事、素晴らしい友人…

大切で失えないなものがあればあるほど、人は自由な行動が取れなくなっていきます。

0の状態を1にすることは、1を10にするよりも大変と言えますが、特に比較的若くて健康という状況であるならば、例え自分がコミュ障であると感じていても、一度自分にあった場所を求め日本を離れてみることも、悪い決断ではないはずです。

それには勇気と覚悟が必要となりますが、それがまた結果的に、日本の素晴らしさや課題を見つめ直すきっかけにもなります。

それではまた!




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