「愛する人を作るな…?」 -ブッダの教えと愛について考える-

こんにちは Ronin です!

恋愛をして、自分が好きな相手も、自分のことを好きだと感じると、言葉では表せない程の幸せな高揚感に包まれます。

世の中がバラ色に見え、仕事や学校の勉強なども益々やる気が出るなど、生活が活き活きしてきたります。

その一方で、恋愛はいつも順調という訳にはいかず、人を好きになることで、嫉妬をしたり、ケンカをしたり、または別れによって失恋をするということを通して、辛い気持ちを味わなければなりません。

このように、人を愛し愛されることで幸せな気分になることができるものの、人を愛することには痛みが伴います

今回は仏教の考え方を交えながら、人を愛することについて考えてみたいと思います。




論理的なブッダの考え方

お釈迦様 (別名: ブッダ, 英名: Buddha) は仏教の開祖ですが、お釈迦様は非常に合理的、論理的な考え方の持ち主で、お釈迦様の時代の原始仏教は、現実を直視し、様々な人生の問題を改善、解決しようと生まれました。

そのためお釈迦様、仏教の考え方というのは、世の中の真理をついているものであり、その歴史は遥か2600年前に遡るにも拘らず、現代の私たちにもそのまま応用できるものとなっています

例えば仏教の考え方の一つに、「因果の法則」というものがあります。

これは、万物、全ての世の中の現象にはその結果に至る原因が必ずあるというものです。

例えば、お米の収穫の時期は9月頃からですが、お米が成るには、春先の田植え作業が必須であり、またその途中の肥料を与えたり作業も必要となります。

田植えという「原因」あるから、収穫という「結果」があるわけです。

スポーツの世界も同じです。

莫大な量、年数の積み重なった練習と戦略があるからこそ、試合に勝ったり、歴史的な記録を打ち出したりする結果が生まれます。

当たり前と言えば当たり前のことですが、非常に世の中の真理を端的に点いている事実です。

そして、私たちの多くはそのことを深い理解せず、考えず、何気なく行動してしまいがちです。

 

愛する人を作るな -ブッダの教え-

お釈迦様の教えをまとめた経典の一つに、ダンマパダ(Dhammapada)というものがあります。

パーリ語で書かれたこの仏典は、漢語では法句経(ほっくきょう)とも呼ばれます。

ダンマパダの中で、お釈迦様は人を愛することについて以下のような教えをといています。

愛するものと会うなかれ 愛さぬものと会うなかれ 

愛する人を見ぬは苦なり 愛さぬものを見るも苦なり 

それゆえ愛するものを作るな 

愛するものとの別れはつらい 愛するものも愛さぬものもいない者らに束縛がない

ここでいう「愛さぬもの」は、自分が愛さないもの、つまり嫌いな人という意味になります。

愛する人がいて、その人に会えないということは、嫌いな人に会うのと同様に辛いことであり、そしてその愛する人と別れることは辛く、好きな人自体を作らなければその苦しみを味わう必要も無い、という教えになります。

仏教では物事への執着が苦しみの根源となるという基本的な考え方があり、愛に関しても、好きな人ができて、その人と一緒に過ごしたい、その人から愛してもらいたい、その人を自分だけのものにしたい…という欲望が生まれることによって、そうならない時の苦しみを味わうことになると言えます。




また仏教において恋愛は「娯楽」であると定義される考え方があります。

あの人を好きになった、あの人から好きと言って貰った、デートに行けた、キスをした…

恋愛することで私たちはドキドキ感を味わい、また失恋等、思い通りにいかないことで失望し、落ち込み、悲しくなります…

中世フランスの哲学者、モンテスキュー「恋愛とは仕事の無い人々の仕事のようなものである」と言ったように、生産性という観点から言えば (もちろんデートや贈り物で消費活動を行い経済に貢献するという点もあるが) 、恋愛でドキドキしたり落ち込んだりする行為からは、一般的には生産的なものは何も生み出されないと言えます

それでもいくら失恋を繰り返しても、離婚をしても、裏切られても、再度人を愛し、恋愛に生きようとする人がいます。

何故なのでしょうか?

 

オスとメスの私たち

ロンドンにいた頃、毎朝家の近くにある公園を1時間弱散歩するというのが僕の日課でした。

その公園は比較的大きく、また公園の敷地内には複数のがある場所でした。

池には様々な種類の鳥がいて、僕のお気に入りはアヒルでした。

アヒルを見かけると良くオスとメスが集いになって池の上をスイスイを泳いでいて、「あんな風にいつまでもパートナーと一緒に仲良くやっていけたら」と思いながらいつも観察していました。

優れた知能を持ち、文明と文化を持つ私たち人類ですが、原点を辿ればアヒルや他の種と変わらない動物の一種です。

そして、全ての動物に共通して、オスとメスは出会い、子孫を後の世代へ残していきます

ですので、生物学的に見ても、男女がお互いに興味を持ちあって、恋愛し、結婚し、子供を残すということは非常に大切な流れであります。

人によって人生の目的、いわゆる「生きがい」というのは異なると思います。

仕事が生きがい、スポーツが生きがい、趣味が生きがい、友人と過ごす時間が生きがい、家族と過ごす時間が生きがい…

高度な活動ができる私たち人類は、生きる目的、人生の生きがいも多種多様であると言えます。

ですが、原点に帰り生物として生まれてきてなすべきこと、言わば DNA にプログラミングされたレベルで考えた時、やはり「子孫を残す」というのは生物としての役割、強いて言えば「義務、務め」とまで言えるかもしれません。

人を好きになることで、恋愛感情を持つことで、そして人を愛することで、その義務を果たすきっかけに結びついていきます。




愛などいらぬ! -強くなるために捨てた愛-

1980年代に登場し、2019年の今でも多くのファンがいる「北斗の拳」という拳法で乱世を救う救世主を描いた漫画の中に、「サウザー」という僕のお気に入りのキャラクターがいます。

サウザー

(出典: http://www.geocities.jp  )

サウザーは数ある敵の中でも圧倒的に強く、主人公のケンシロウも苦戦を強いられます。

サウザーの名台詞に「愛ゆえに人は苦しまねばならぬ!愛ゆえに人は悲しまねばならぬ!」というものがあり、サウザーは非常に冷酷で、残忍に殺戮を繰り返します。

サウザーは幼い頃、愛していた師匠の突然の死を目の当たりにしなければならず、その時を期に、悲しい思い二度としたくないと、人を愛することをやめ、強さを追求するようになります

ヨーロッパ人の元妻は、10代の時に単身で自身の国の小さな町からロンドンへと移住してきましたが、大都市で外国人として生きていくために様々な辛い状況に耐えなければなりませんでした。

そのため、自身をナイーブで弱きものにしてしまう「愛情」という感情を捨て去り、ただひたすらに強く生きていくことを追求しました。

その結果として、今では経済的には他者が羨むようなレベルの生活を送れています。

僕とまだ知り合う前に、元妻がフランスへスキーをしに旅行に行った時のこと。

知り合った他のグループの一人の男性が、最近付き合っていた彼女にフラれてショックを受けていて、その場にいたみんなで慰める、という場面がありました。

その際に元妻がその男性に掛けた言葉は、「心配する必要全く無いよ。世の中恋人の代わりなんていくらでもいるじゃん。」というものでした。

その当時元妻には付き合って一年程の彼氏がいて、その発言をしてホテルに戻り一人になった元妻は、「私は一年間共にしてきた彼氏がいるにも関わらず、恋人の存在は交換可能だと思ってる…。自分は何て冷たい人間なんだ…。」と思ったようです。

この頃から、自分の中に人を本当に愛する感情が無いということに気付いたそうでした。

強くなるために、悲しみを避けるために、愛を捨てる…

それらの人たちは、実は人一倍純粋で、愛情が深い人たちなのかもしれません。

 

最後に: それでも人を「愛していく」

僕はこれまで失恋、離婚を含め、人を愛する上で何度も傷ついてきました。

二股をされたこともあるし、恋愛のトラブルで、海外で一人ぼっちで身動きが全く取れなくなってしまったことさえもあります。

それでも、毎回失敗を繰り返しながら人を愛するということ、そして愛するためにどのような覚悟が必要かを学んでこれたような気がします。

お釈迦様がおっしゃった、「愛する人を作るな」というお言葉。

僕自身は「悲しみや苦しみを受け入れる覚悟がないのであれば、人を愛そうと思わないことだ」と解釈するのも、悪くないのかな、という風にとらえています。

過去に悲しみ辛い経験をしたけど、だからこそ「今」いる大切な存在を当たり前と思わないことができる。

だからこそ、自分を好きだと言ってくれる人を覚悟を持って愛することができる。




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