僕の「境界性人格障害」の形成 -ぼくの側に母はいなかった-

こんにちは Ronin です。

感情の浮き沈みの波が激しく、情緒不安定な言動を取りやすい性格上の特徴がある場合、境界性人格障害 (別名: 境界性パーソナリティ障害、BPD) という精神障害を持っている可能性があります。

境界性人格障害の大きな特徴としては、人から見捨てられることを強く恐れたり、自分は価値の無い人間であると感じたり、また場合によっては自らの命を絶ったり、自傷行為を行う、というものが見られます。

僕自身も境界性人格障害の特徴があり、これまでもブログの中でお話をしてきました。

僕が自分自身を「境界性人格障害」と診断する【5つ】の理由

03/02/2019

精神障害全般に言えることではありますが、精神障害を抱えている場合は、その原因が幼少期の体験と深く関わっていることが多いです。

僕の場合は、幼少期からの「母親との関係」が境界性人格障害の形成に繋がりました。

今回は、僕の母親について、そして、どうやって僕の境界性人格障害が形成されていったかについてお話ししたいと思います。




境界性人格障害の「原因」

境界性人格障害が形成されてしまうはっきりした原因は、専門家でも未だに解明できていないというのが現状ですが、幼少期の経験、特に両親との関係性が、境界性人格障害の形成に大きく関係しているという研究結果が出ていて、それが境界性人格障害の大きな原因の一つであるとされています。

以下に挙げているものは、境界性人格障害の形成の原因と考えられている幼少期の体験です。

境界性人格障害の「形成要因」
  • 身体的および性的虐待
  • 両親等の保護者との、早い段階での離別
  • 感情的および身体的ネグレクト
  • 親の無神経さ

(参考: verywellmind “Causes of Borderline Personality Disorder” )

上記のように、虐待、ネグレクト等、親からの愛情を十分に受けることができなかったり、または愛情を感じることができないという体験によって、幼少期の感情的要求が満たされなくなり、それが見捨てられ不安や、愛情への飢餓感へ発展していき、境界性人格障害の特徴を形成していくのだと言えます。

物心ついた頃から母はいなかった

母親は仕事の関係上、海外で暮らし働いていました

母親が本格的に海外で働くようになったのはちょうど僕が3歳くらいの、物心がつき始める頃のあたりであったため、子供の頃の僕にとって「母は自分の側にはいないもの」という認識でした。

それでも1年に2回~3回ほど、母親が日本へ帰って来て一緒に過ごす時間はあったのですが、仕事の関係上1回の帰国で2週間ほどの滞在が限界でした。

そのため、特に年齢がまだ幼かった小学生の頃は、母親がいないことを特に寂しく感じていて、それは言葉に表せられないほど辛いものでした。

母親が帰って来る1週間前くらいになると、会えるのが待ちきれないほど楽しみになり、また帰って来る当日になると、一刻も早く会いたくて毎回学校から家まで走って帰ったのを覚えています。

ですが母親が外国へ帰って行く時になると別れるのが非常に寂しくて、あえて母親に辛く当たって素直になれず困らせることが良くありました。

また、友達の家に行けばそこには友達の母親がいて、親子で仲良くしている友達の姿を見て、非常に羨ましく思え、同時に「どうして自分だけこんなに寂しい思いをしなければならないのか…?」というやり場の無い怒りを覚えていました。




父親の嫉妬…母親を次第に憎み始める

僕が幼い頃に母親を恋しく思っていたのと同様に、当然父親も母親がたまにしか帰って来れない事を辛く思っていました。

僕の父親は強迫性障害(英名: Obsessive–compulsive disorder , OCD)うつ病を持っていて、そのためもあってか、母親が外国で仕事のために帰って来れないことを「向こうで浮気している」と思い込むようになり、挙句の果てには嫉妬をするようになっていました。

そして、僕ら子供たちに対して、「お母さんは海外で他に男がいる」「お母さんは子供達の事を全く思っていない」といったことを話し、まだ10歳にも満たない年齢であった僕は、そのような父親の言ったことを信じることしかできませんでした。

そして「母親は冷たい人」「母親は自分を愛していない」と思い始めるようになっていきました。

もちろん母親が他の男性を好きになっていたという事実はありませんし、母親は家族のために身を粉にして働いていた訳ですが、それらを現在では良く理解している今でも、あの子供の頃の母親への不信感を感覚的に覚えている自分がいます。

頭では理解してるのですが、幼い時の感覚であるため、今でも拭うことができません

 

俺に愛させれる資格はあるか…「愛情への飢餓感」

僕の好きな歌手の一人に亡くなってしまった尾崎豊さんがいますが、彼の曲の中でも僕が最も好きな曲が「シェリー」という曲です。

シェリーという女性に対して、自分の生き方、人生について問いかけるような歌詞になっているこの曲は、境界性人格障害の僕にとって非常に共感できる歌詞となっており、歌詞の内容から、尾崎豊さんも境界性人格障害だったのでは?という見解を持っている人が多い理由にもなっているのではないかと思います。

歌詞の中で、「俺に愛される資格はあるか」という箇所があります。

僕は過去にどんな女性と恋に落ちても、「本当に相手は俺を受け入れてくれるのか?」「本当に俺を愛してくれるのか?」と常に不安を感じていました。

そしてそのような不安は、30歳を超えた今でも感じることがあります。

頭の中ではどんなに相手が真剣に自分を愛しているかを理解していても、この不安を完全には拭うことができず、ちょっとしたことで嫉妬を感じてしまい、その度に、「ほら見たことか、やっぱり俺から逃げようとしている」と思い込んでしまい、そのため自分がこれ以上傷つかないよう、あえて相手に冷たい態度を取ってしまうことがあります。

今まで付き合った女性は、何故僕がそのような態度を取るのか理解することが全くできませんでした。

唯一理解を示してくれたのが元妻だったように思います。

それが彼女との結婚を決意させた大きな要因の一つであったということは、今では強く感じることができます。

このような僕の強い愛情への飢餓感は、幼少期に母親と過ごすことができず、また、母親が自分を十分に愛してくれていないという疑念を持っていたことと、関係しているということを、今では冷静に分析できるようになってきています。




永遠の別れ…誰に寄り添って生きて行けばいいのか

母親は家族を支えるために、外国で身を粉にして必死に働いていました。

それは睡眠時間、休みを削ってというものであり、その生活は文字通り長年に渡って体に大きな負担をかけるものでした。

そして、その結果母親は過労がたたり重大な病に侵されてしまい、40代後半という若さでこの世を去りました。

母親の病を知った時、僕はまだ10代半ばでした。

3歳の頃から本当にたまにしか会えなかった母親。

そして、大好きな母親は僕がこれから大人になり成長し活躍して行く の見ることなく逝ってしまった。

僕の中に残ったのは混乱だけでした。

この気持ちを一体誰にぶつけたらいい?誰に寄り添えばこの寂しさを拭いきることができる?

母の死から既に10年以上経ちますが、母親の夢を今でも見ますし、今でも母のことを思い出す度に涙がこぼれます。

 

縋る相手を求めているだけなら、人を愛す資格があるのか

境界性人格障害の形成には幼少期の両親 (特に母親) との関係性が大きく影響すると言われています。

僕はこれまで付き合う女性と共依存に陥いり易かったのも、母親のように無償の愛をくれ、縋ることができる存在を求めていたからなのかもしれません

そしてその結果、元妻を含む過去に出会った女性を傷つけ、混乱させてしまったのだと思います。

本当に人を愛することとは一体どのようなことなのでしょうか。

僕にはそのことがまだ良く理解出来ていないような気がします。

少なくとも、それは「縋る相手を求めること」とは大きく異なることでは無いかと今では感じています。




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