「泡沫夢幻」…留学も恋愛も結婚も、人生は全て【あぶく】のよう

こんにちは Ronin です!

毎日が絶好調で、日々の仕事や勉強、遊びに恋愛に充実し、良い結果が出ている場合は、特に人生や自分の方向性、立ち位置について考えることは無いのが通常ですし、そのような必要性さえも感じないものであると思います。

しかし、失恋、受験失敗、離婚、リストラ、家族との離別など、いわば挫折と言える出来事に直面することになると、過去やこれまでの人生を振り返ったり、自分の今のあり方を見つめ直したり、というきっかけになることがあります。

今回は「泡沫夢幻」という言葉と共に、人生の儚さについて考えてみたいと思います。




「泡沫夢幻」の読みと意味

「泡沫夢幻」は仏教の言葉で、「ほうまつむげん」と読みます。

「泡沫」は泡やあぶくを意味し、「夢幻」は文字通り夢や幻を意味します。

シャボン玉を吹いて、空に浮かぶシャボン玉に見とれていても、やがてそれは割れて弾けてしまい、消えてしまいます。

「泡沫夢幻」は、このシャボン玉やあぶくのように、全ての存在は生まれては消え、常に変化して実体が無く、 まるで夢や幻のようであると、お釈迦様が例えたことによって生まれた言葉のようです。

物事の無常、そして儚さを表しています。

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振り返ればまるで「あぶく」のよう

恋愛の初期段階では、心がドキドキして高揚します。

まだ正式に交際する前であれば「相手は自分のことが好きなのだろうか?」、「あの人のことが気になって夜も眠れない…」と常に相手のことを考えますし、無事に交際に発展し、自分が好きな相手から好きだと言ってもらえるようになると、これ以上の幸せは無いと言えるような、まるで空を飛ぶかのような気持ちの良い高揚感に包まれます。

しかしながら、これは「フェニルエチルアミン」という脳で作り出される物質がこの高揚感を生み出していることも関係しているのですが、そのような恋愛初期の感覚は時間と共に薄れていきますし、数ヶ月、数年と経てば、結婚に至らない限り、大半のカップルは別れを選択することになります。

それが相手から別れを告げられたものであれ、自分から別れを告げたものであれ、別れてから、恋愛した思い出を振り返ってみれば、そこには「 彼女 / 彼氏 」という存在も、「恋愛」、「交際」という実体も無く、まさにシャボン玉が弾けるように、「あぶく」のようなものです。

一緒に行った場所、一緒に住んだ部屋、一緒に過ごした時間…

当たり前の日常と感じていた時間も、無くなってしまい振り返れば、まるで夢、幻のようです。

 

夢を見ていたようなオーストラリアの日々

僕はワーキングホリデービザ等を利用して、合計でオーストラリアに一年半ほど滞在していました。

シドニー空港に飛行機で到着する直前の瞬間は今でも鮮明に覚えていて、初めての欧米圏の国に住むということで、当時聴いていた「Good luck my way」という  L’arc en ciel さんの歌に自分の人生を勝手に重ねたりして、これから自分が新しい場所で、新しい人生を送るということに胸が高鳴っていました

オーストラリアに着いてしばらくして、現地のオーストラリア人の女性と付き合うことになるのですが、このブログでも何度もお話しをしていますように、彼女との暮らしは感情的に非常に不安定なものでした。

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それでも欧米人の彼女とのオーストラリアの暮らしは何もかもが新鮮でした。

そして、オーストラリアでアルバイトをしたり、オーストラリアの様々な場所を訪れたり、そこに住んでみたり、オーストラリア人と日本の文化や習慣について議論したりと、今までの人生では味わえないような経験をすることができました。

「自分が実際いつまでこの国へ滞在できるのか」は分からず、またその後のことも深く考えないまま来てしまったオーストラリアのワーホリでしたが、ビザの有効期限を意識しながら暮らしていたももの、まるでそのような日々がいつまでも続いていく…というある種の錯覚のような感覚になっていて、そこに心地よさを感じていました。

オーストラリア人の彼女とある出来事が起きたきっかけで、最終的にはオーストラリア自体を離れなければならなくなりますが、現地で生活していた時間を振り返ってみれば、まさに「あぶくのような夢幻」のようです。

あの一年半という時間は、僕の人生の中で最も濃い一年半であり、また最も儚い、まるで夢のような時間でした。




Deamtime

オーストラリアの先住民、アボリジナル (アボリジニは差別的に聞こえる) は、「Dreamtime」という概念を持ち、信じています。

直訳すれば、「夢の時間」ということなのですが、人間、動物、魚、土地など、万物は遥か昔、6万5千年にも遡る彼らの先祖によって創られたと彼らは信じ、「Dreamtime」はこの創始の時間を指します。

そしてこの始まりとしての「Dreamtime」は「Dreaming (夢見ること) 」として彼らの魂の命の中で現在も生き続け、過去、現在、未来の連続した時間である、というものです。

アボリジナルのアート

(出典: Artlandish )

アボリジナルの人たちの考え方では生きることは、「夢を見ること (dreaming) 」であり、まさにその時間は過去、現在、未来といった時間の概念も超越しているものと言えます。

「泡沫夢幻」の言葉に表されるように、この世の全てのものは夢や幻のように儚いものの、アボリジナルの世界観においては、私たちは「夢の時間 (Dreamtime) 」そのものを生きているということなのかもしれません。

 

最後に

オーストラリアでの過去を振り返ってみて、改めて人生が「あぶく」のように儚く、夢や幻のようなものであると感じています。

そして、現在ロンドンで送っている暮らしも、やがては何かのきっかけで変化し、いつかはロンドンを離れてしまうのではないだろうか、という感覚すら覚えています。

アボリジナルの人たちが信じるように、生きていることが Dreaming 、夢を見ることであるならば、今ここで生きている時間は「夢の時間 (Dreamtime)」 として、例え今の暮らし、住んでいる場所が変わっても僕の魂の中に存在し続けるのだと思います。

それではまた!




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