幸せな日常を得るヒントをくれる「禅語」【3選】 -恋愛編-

こんにちは Ronin です!

ロンドンに住んでいると、その多民族が共存しているという環境から、様々な異なる宗教を信仰している人と出会うことがあります。

日本人には、特定宗教を信仰しない、いわゆる「無宗教」である人が多いとよく言われますが、お葬式法事などの行事に見られるように、生活や風習など、日本人と仏教は深い繋がりを持っています

また、「挨拶」「我慢」「主人公」などの言葉も、仏教用語に由来しており、日本人の日常がいかに仏教の影響を受けているかが分かります。

そして、仏教には日常にある現実的な「苦しみ」を改善し、穏やかな心になることを 目指していくという考え方があり、その言葉、考え方を通し、豊かで幸せな人生を得るためのヒントを得ることができます・

そこで今回は、日本に特に深く浸透している仏教の宗派の一つである、禅宗の言葉「禅語」から、恋愛に関して応用できるものをお話ししてみたいと思います!




そもそも「禅」とは何なのか?

仏教は、約2500年前にインドで誕生し、その後スリランカ、チベット、中国、韓国などに広がり、日本にも伝わりました。

キリスト教、イスラム教と共に三大宗教の一つで、その中でも約2500年という最も長い歴史を仏教は持っています。

仏教は、真理の正しい理解や洞察をし、生きることの苦から脱すること (=悟りを開く) を目指すためのお釈迦さま (ブッダ) の教えに基づいたものであり、お釈迦さまの死後、弟子たちによってその教えが体系化され仏教が生まれました。

「禅」とは、仏教宗派のうちの一つ「禅宗」の略で、インド出身で中国にわたった達磨大師を祖とし、坐禅を基本的な修行形態とするものです。

日本に純粋な禅宗が伝えられたのは、鎌倉時代の初め頃で、室町時代に幕府の庇護の下で日本仏教の一つとして発展しました。

近年は、禅の思想や禅語を経営や仕事、人生の生き方などに取り入れて活用する人や企業などが増えてきており、かの有名なアップル社の創業者、スティーブ・ジョブズも禅宗の一つである曹洞宗の僧侶に師事し、禅について学び、その思想を経営、そして自らの生き方へと活かしていました。

このように欧米でも「ZEN」として禅の思想は広まっており、僕が住んでいるロンドンでも「悟り」を開くことが目的であるものとは異なるものの、仏教の瞑想によりストレス解消、依存症克服、うつ病克服等を目指す教室、コースが「マインドフルネス (Mindfulness) 」として注目されています。

ロンドンにある「マインドフルネス」の教室の例

(写真: london buddhist centre )

 

禅語「両忘」

禅語の「両忘 (りょうぼう) 」という言葉は、Aは良いがBはダメだ、Bは良いがAはダメだ、という既存の両極端な物差しを忘れ、真実を見つめるという考え方を指すものです。

私たちは恋人とケンカをしてしまう時も、つい感情的になると「あなたのここがいけない!」「そっちだってそういう行動をするじゃないか!」と相手のことを責め、自分が正しいことを証明しようとします。

しかしながら、「自分が正しいと思っていること=相手も正しいと思っていること」とは限らず、恋人、夫婦手であっても異なる「個」であるため、むしろ考え方、ものの捉え方の違いが起こることは当然です。

根本的な解決には「自分がこれは正しいと思うんだ!」という思いを抑え、「価値観の差はどこか?」、「何故ケンカすることになったのか?」、「今後繰り返さないためには何が必要か?」といった冷静になる姿勢と分析が必要です

そのため、一端「どちらが正しく、どちらが正しくない」という両方の考え方を忘れる、というのが両忘という禅の教えです。

また、このサイトでもお話しする境界性人格障害も、最高の彼氏 (彼女) と相手を理想化したと思えば、何か些細なことがきっかけで最悪な相手と激高したりという二極思考を行うことが特徴で、周囲の人や自分自身を傷つけてしまいます。

オーストラリアの追憶 -【境界性人格障害】の恋人編-

2018.09.21

ボーダーの二極思考は、いかに物事を自分の価値観により「良いか悪いか」だけで判断してしまうことが危険か、そしてそれが物事の根本的な解決とは程遠い行動となってしまうかを表しています。

 

禅語「放下着

禅語の「放下着 (ほうげじゃく) 」という言葉は、物事に対する執着心を捨てることによって、心静かに生活できるようになる、ということを指すものです。

この物事に対する執着は、仏教の基本的な考え方では苦しみの原因とされていて、執着をコントロールすることが重要視されます。

もちろん、勉強、スポーツ、仕事など、何かを成し遂げるために「諦めずに実現する!」という情熱は必要となります。

そのような意味でのある種の執着は、人生において時に重要なことがありそれがプラスに作用するということがあります。

しかしながら、「絶対に叶えたい」「絶対に欲しい」というものがどうしても実現できない時、望むものが得られない時の執着心によって、大きな絶望感やストレスが生み出されて、自身を苦しめるようになってしまいます。

物事に執着し過ぎず、冷静な目で現状を分析し、必要ないものは捨てることが大切です。

そして、これは恋愛にも当てはまることでもあり、私たちは「あの人が好き」「一緒にいたい」という気持ちから恋愛をし、そしてそれは「彼 (彼女) は私の物だけ」という独占欲、いわば執着へと繋がります

もちろん、平和な家庭を築いて行くためにも、「一人の相手を大切に愛していく」という姿勢は必要なのですが、仏教の諸行無常の原則にもあるように、この世の全てのものが移ろぐ中で、人の愛情というのも変化し、これまで好きだった人を愛せなくなってしまう、ということがあります。

そんな時、執着心によって無理に引き留めてしまっては、相手だけではなく、その願いが叶わない自分自身も苦しくなってしまいます。

そのような状況においては、自分 (そして他人) を苦しめている愛情、そして独占欲という執着を手放すことで、最終的には心の平安を取り戻すことに繋がります。




禅語「鈍鳥巣を離れず」

禅語の「鈍鳥巣を離れず (どんちょうすをはなれず) 」という言葉は、居心地の良い巣の中にいつまでも入り浸っている鳥は、いつまでたっても飛び立つことができない、という意味を指します。

例えば会社などでも、勤務年数が長くなり、仕事をこなしていくことがそれほど苦では無く努力がそこまで必要で無くなるものの、それなりの給料を貰えるし惰性を含めながらその職場に居続ける、ということがあります。

もちろん、生活をしていかなければなりませんので、収入の確保は必要なのですが、そのような状況で会社に居続けても何か革新的な物を会社に貢献することはできませんし、何より自分自身が成長することはできません

そして、この禅の教えは恋愛にも当てはまります。

数年付き合って、既に恋愛感情が無いのにも関わらず、変化を嫌い居心地が良く、また一人になって孤独を味わいたくない周りから寂しい人だと思われたくない、などといった理由から、その関係に居続けてしまうことがあります。

そのような関係から真の幸せを感じることは難しいですし、何より有限である人生の時間を惰性の恋愛関係 (または婚姻関係) で過ごしてしまうことになります。

または、暴力、金銭トラブル、もしくは共依存のような破滅的な要素を含む恋愛関係から抜け出せない、という状況があります。

僕も共依存関係を経験したことがあるので理解できるのですが、これらの破滅的な関係に居続けてしまう理由は、単純に相手を好き、という理由だけでなく、その関係に居ることが居心地がよく、自分自身が必要とされていると感じることで自尊心を満たせる…などといった複雑な理由も絡んでいることが多いです。

オーストラリアの追憶 -境界性人格障害の彼女との「抜け出せない共依存」編-

2018.11.14

しかしながら、本当に望む幸せ心の平安、人間的成長といったものの実現のためには、その居心地の良い、破滅的な関係から抜け出すことが必要となります。

 

最後に

お釈迦が仏教の教えを説かれたのは2500年以上前にも関わらず、現代においてもその教えは私たちの日常生活において幸せ、そして心の平安を手にする道しるべとなります

これは、お釈迦様が非常に論理的で、人々の心を理解し分析することが出来き、そこから教えがなされたためであると考えます。

そして、これだけ世の中のものが複雑化しても、根本的な人間の心理や傾向には過去も現代も共通している部分があります。

それではまた!




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