何のために生きるのか…? -全てのものが変化していく「諸行無常」の世界で-

こんにちは Ronin です。

旅行に行くことで日常を離れ、ふと自分の普段の生活を見つめ直してみたり、これからの人生のことを考えることは良くあると思います。

海外で生活していると、日本にいる時以上に、「これからどうすればいいのか…?」、「自分は今のままで満足か…?」、「あの時こうしていれば良かったのでは…?」といった、自分と向き合う瞬間が多くなる気がします。

そういう観点から言うと、海外生活というのは、数ヶ月、数年という長いスパンでの、自分探しのようなものかもしれません

人生の途中で「なぜ生きるのか…」という漠然とした疑問を抱えてしまうことがあります。

特に困難に遭遇した時などは、生きること自体を辛く感じてしまうこともあるかもしれません。

そこで今回は、「生きること」について考えてみたいと思います。




全てのものが移ろいでいく

仏教の言葉に、「諸行無常 (しょぎょうむじょう)」という言葉があります。

諸行無常 (しょぎょうむじょう)

仏教の根本主張である三法印の一。世の中の一切のものは常に変化し生滅して、永久不変なものはないということ。

(出典: コトバンク “諸行無常” )

平家物語の「諸行無常の響あり」というフレーズからこの言葉を覚えている人も少なくないと思うのですが、諸行無常という言葉は、世の中の物事は、絶えず変化し続けている、と言う事を意味する仏教の教えです。

花が咲き、やがて枯れ果て、そしてまた新たなつぼみをつけるように、全てのものは時間の経過とともに形を変え、移ろいで行きます

人生においても、人が生まれ、少年時代を過ごし、やがて大人になって、そして退職をする年齢になり、最後には亡くなっていく…というように、人は変化をし続けて、この世から消えていく定めとなっています。

また、時間の変化と共に、住む場所や、付き合う友達、付き合う恋人、一緒に住む家族などの人間関係も変化し続けていきます。

僕は東北地方で生まれましたが、たまに生まれ育った田舎の町に帰ってみると、時間の流れによる物事の移ろいを感じずにはいられません。

毎日通った中学校が少子化の流れで廃校になってしまっていたり、いつも行っていたスーパーが無くなってしまっていたり、子供の時に優しくしてくれた近所の人が亡くなってしまっていたり…。

輪廻転生を信じる仏教の教えでは、諸行無常という考えは、そのような自然の摂理、命のサイクルを表し、マイナスのイメージを伴う意味合いは元々ないようです。

しかしながら、決して止まることのない時間の流れの中で、変化し続け、そして無くなっていく物事の儚さを目の当たりにし、「一体こうやって生きることに何の意味がある…?」という虚しさ、そして虚無感をどうしても覚えてしまうことがあります。

 

今あるものは、全て失う運命にある

誰にでも、大切なものがあります。

親友、恋人、奥さん、旦那さん、父親、母親、兄弟…といったかけがいの無い人間関係から、

お金、持ち家、車、洋服…といった物理的なものまで、私たちは所有し、それを大切に思っています。

先日訪れた Hartwell House のように、建物のような物理的なものは、その持ち主を変えながらも存在し続けますが、私たちがこの世からいなくなる時には、それらのものを手放さなければなりません

【スパ】に【エステ】に【優雅なディナー】に… ロンドンから行く!歴史的ホテル「Hartwell House」

2018.11.06

また、どんなに大切な人たちでも、いずれはどちらかがこの世を去ることで、別れなければなりません

僕には大切なパートナー (妻) がいますが、それが例え仏教では、「諸行無常」の原則により、自然なことで肯定すべきことと定義されているとしても、パートナーといずれ離ればなれになる運命だという事実は、中々簡単に受け入れることは出来ませんし、考えることだけでも辛いです。

しかし、今所有している全てのものは、いずれ失うものというこれは紛れも無い事実であり、そんな時、「じゃあこの今の時間は一体何のためにあるんだ…?」と半ば諦めにも近い、無力感に襲われてしまうこともあるかもしれません。




今を生きる

例えば百貨店で、いつでも、そして何でも買って良いという商品券を貰ったとしたら、どんなものを購入するでしょうか。

服、家電、家具、本など、金額を気にせずに、無制限で何でも買うことができますので、あまり深く考えず購入し、中には不必要なものまで購入してしまうかもしれません。

また、いつでも、そして何でも買えるわけですので、特に買えた品物に対してもありがたみも感じることなく、買えたことによる満足感も、さほど大きくないかもしれません。

しかし、もし次の日曜日の一日だけ使用可能な、「10万円分だけ購入できる商品券」を入手した場合はどうでしょうか。

一日だけという制限ですので、朝早起きしてワクワクしながら百貨店へ向かうかもしれませんし、10万という限られた金額ですので、「何を買えば良いのか?」、「最大限のコストパフォーマンスを得られるものはどれか?」、「長く使用できて替えが必要ないものはどれか?」などと言ったことをたくさん考え、最良の結果を得ようと試みます

そして、商品が買えた時は、大きな満足感を得ることができます。

人生には時間という「リミット」があり、「諸行無常」という言葉の通り、いずれはこの世から去って、全ての大切なものを手放さなければなりません

僕にはまだ、「なんのために生きる?」という問いに対する答えは分かりませんが (仏教の “さとり” の領域でやっと得られることなのかもしれません) 、いずれこの世を去らなければならないという、限られた時間の中、心からの幸せを求め、その瞬間を意識し、「今、ここを生きる」ことが大切だと感じています。

それは、誰かの幸せの基準で生きたり、自分を他人と比較し、他人の人生を模倣したりするそれとは違い、自分が何をしたいのか、自分は何が好きなのか、自分は誰と一緒にいる時が幸せなのか、といったことに、今の時間を究極的に活かすことであると思います。

 

最後に

止まらない時間の流れの中で、その流れに取り残されてしまいそうな気持ちになることがあります。

特に東京や、ロンドンのような大都市では、人の流れ、スピードが速く、それに必死に食らいつこうと誰もが必死です。

そんな時、旅行や海外移住をきっかけに、ふと立ち止まり、自分の幸せ、そして人生の目的について考えて見ることも悪くないかもしれません。

最後に、カナダの作家・経済学者の、スティーブン・リーコックの人生の流れについての名言をご紹介します。

それではまた!

スティーブン・リーコック (Stephen Leacock) の名言

How strange it is, our little procession of life!

The child says, “When I am a big boy.” But what is that?

The big boy says, “When I grow up.” And then, grown up, he says, “When I get married.”

But to be married, what is that after all? The thought changes to “When I’m able to retire.”

And then, when retirement comes, he looks back over the landscape traversed; a cold wind seems to sweep over it; somehow he has missed it all, and it is gone. 

Life, we learn too late, is in the living, in the tissue of everyday and hour.

【人生の進み具合というのは何と奇妙なものだろう!小さな子供達は「もっと大人になったら」と口にする。だが、どうしたことだ。大きくなった子供は、「大人になったら」というではないか。

そして大人になると、「結婚したら」という。けれども、結婚したら一体どうなるか?考えがころりと変わって、「退職したら」とくる。やがて退職の日が現実のものとなると、自分の過ぎし日の光景を思い浮かべる。

そこには木枯らしが吹きすさんでいるようだ。どういうわけか、全てを取り逃がしてしまった。もはや過ぎ去ってしまったのだ。

そして、遅ればせながら私たちは学ぶ。

人生とは生きることの中、毎日、毎時間の連続の中にあるのだということを。】

スティーブン・リーコック (1869年-1944年、カナダの作家・経済学者)





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